全国ご当地ラーメン食べ歩き(5)ふくちゃんラーメン百道浜店ーー元寇防塁は中世日本の一大公共事業

 このふくちゃんラーメンは田隈本店ではなく、百道浜にあった時代のお店の話である。その当時は元気な盛りであったので、自転車で市内各所を巡遊した。遠くは東に志賀島、宗像神社、そしてに今宿・糸島、南は大宰府・基山まで自転車で出歩いた。のんびりとぶらり自転車の旅だった。

 ある日、西南学院大学は元の元寇防塁址をキャンパスにしているらしいと聞き、それではと自転車を走らせた。当時、早良区高取に仮住まいをしていた。

毎日の通勤途中に早良郵便局前の大きな石碑「元寇防塁入口」を目にしていたので、防塁へのアクセスは容易く見つけられる。しかも念の入ったことに、明治通りの十字路の信号の上に「防塁」とあり、防塁交差点だと呼ぶ。そこから明治通りを背にして修猷館高校のグランド沿いに約300m行くと、左側に小高く盛り上げた土塁が目に入り、その上には松林が続く。これが元寇防塁の痕跡。

この藤崎地区元寇防塁に関しては、福岡市の説明に、

 文永11年(l274)蒙古の襲来を受けた鎌倉幕府は、建治2年(1276)に博多湾の海岸線に石築地(いしついじ)を築いて再度の来襲に備えることにした。これを元寇防塁(げんこうぼうるい)と呼ぶ。」

とある。


 元寇防塁は西の今津から東の香椎浜までの約20kmにわたって築かれた。そのほぼ中間にあたるのが西新・百道地区の防塁である。文永の役(1274年)では元軍がこの百道浜に上陸し、祖原、鳥飼、赤坂一帯が戦場となった。その後この防塁が築かれたが、その構築、修理、警固番役等については知られていなかった。大正9年、西新の防塁が発掘され、昭和44年に本格的な発掘調査が行われた。防塁は、砂丘の上に粘土を敷いて基盤を安定させた上に、基部幅3.4mで石を積み上げていることがわかった。
 また、西南学院大学第1号館の建設に当たって検出された防塁の発掘調査では、石塁の背面に約1mほどの間を置いて土塁がつくられ、二重構造であった。
 西新地区の防塁は、昭和53年の発掘調査に整備され、見学できる。また、西南学院大学で検出された防塁は、12mほど北東側の1号館内に移築復元され、公開されている。
 ただし、現在埋め立てによって海浜は大きく北に移動しており、かっての百道松原の面影はまったく失われている。」
とあり、おおよその姿は追想できる。逆に言えば、その防塁遺跡は海と陸の境界線であった。

遺跡 元寇防塁<石築地>よりの転載・借用



その元寇防塁沿いは今でこそ瀟洒なマンション群が立ち並んでいた、昔はアパートが列をなしていた。
 話が長くなったが、その道を抜けて百道通線に突き当たった右側に、我らの「ふくちゃんラーメン」があった。赤い暖簾をかけたお店で、そのサイズも大きい方ではなかった。御主人は榊順伸氏であった、
 その食レポに関しては、すでに多くの紹介記事があるので、ここでは割愛する。しかしラード多めで、白濁のスープの行列のできるお店であった。
 肝心なラーメン一杯の料金が思い出せない。
吾らが「ふくちゃんラーメン」の味は、いつも元寇防塁遺跡発掘と保存活動に直結するし、加えて元寇防塁を案内した米国人ダニエル君(当時、プリンストン大学学部生、現在は米国外交官)が発した言葉
*「これは中世日本の一大公共工事」
ですね、と。





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