家系ラーメンの定義 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 5月 16, 2026 家系ラーメンの定義ーー全国に約2000軒の家系ラーメン1,あっさり鶏ガラを主に濃厚豚骨などをじっくり煮込んだスープ2,醤油3,チャーシュー:煮込むのではなく、鍋につるして、いぶす4,モチもち中太麺5,家系ラーメンのBig3ーー 「吉村家」「本牧家」「六角家」 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
韓国大邱市の中華料理店「万里長城」の韓国式チャンポンと異文化体験 8月 28, 2025 現在も営業しているかどうかは心もとない。すでに30年以上、大邱に足を踏み入れていないのだから。韓国料理と言えば、このお店が最高となるのはやむを得ない。 大邱市中区大鳳1洞55-39 中華料理店「万里長城」 このお店の味が忘れられないのは、私の韓国生活で最初の友人呉ジュヨン君と出会ったお店だからである。 もっとも友人と言っても、呉ジュヨン君は当時小学3年生か4年生だったはず。お店のオーナー呉南樹氏(当時、大邱市議会議員)の次男であった。右も左も分からず渡韓し、しかも親しい人もいず、韓国語さえもおぼつかない有様であった。当然ながら食事はいつも一人、ご存じの通り、韓国の外食でも、今も昔も一人で食堂に入ったり、酒場で一人酒をする習慣はない。したがって一人で食堂に入り、独りの食事メニューも当然に限られてくる。止宿先の前にあったお店だけに、ものぐさの私にとって、そのお店の常連になるのに日を要しなかった。 だかからこそ、 *「チャンポン ハナ ジュイソ。メプチアンケ ヘジュシラムニッコ」 という言葉は大邱方言であるが、しばしば通ううちに、自然と覚えた言葉。なにしろそのままでは辛すぎるので、トウガラシの量を半分以下に調整していただく必要があった。友人曰く、今もソウル標準語を知らないと違うか。 ある日、ものお珍しそうに私に近寄って来たのが呉君であつた。下手な韓国語で注文する日本人アジヨシ(おじさん)がほぼ毎日チャンポンを食べに来ると両親から聞いたからだろう。 その当時、大邱に居住する日本人は数名(4名?)に過ぎなかったので、珍しかったのだろう。 倉庫のどこかを探せば、その「万里長城」の韓国式チャンポンの写真が出てくるかもしれない、というのもスープは真っ赤だから。その驚きをは写真に撮ったに違いない。 韓国での中華料理と言えば、チャンポンと双璧な国民食は チャジャンミョン (漢字表記: 炸醬麵 、짜장면)である。甘い黒タレの麵であるが、私にとって、海鮮類も野菜も入っているチャンポンを自然と多く注文することとなった。 そのチャンポンを通して、そして呉ジュヨン君を通して、いつの間にか大邱市内に友人が増えていった。だからこそ、万里長城式チャンポンはいつまでも我が第2の故郷大邱の味である。 ところで、今も未解決なのは、チャンポンに黄色な沢庵が添えられることである。 *********... 続きを読む
全国ご当地ラーメン食べ歩き(2)長崎ちゃんぽん・リンガーハットと日本の味 8月 23, 2025 今となっては、笑い話にしかならないだろう。今風の言葉で言えば、「マジ?」「ウソ!!」。 1980年前後、韓国から日本に国際電話をかける時、市内のメイン郵便局に出向き、国際電話・市外電話担当係員を通して、どこかに(特に秘す)申請をしてから、1~2時間電話ボックスの前で待ち続けて、やっと国際電話で我が家族との通話が可能であった。国中で一般電話を持つ家も多くなく、カカオトークもZOOMによるMeetingもない時代であった。 当然ながら日本の紙媒体の新聞を読む機会もなく、また衛星放送やインターネットを通したドラマやニュースに接することなどは夢の世界であった。その中で、わずかに日本の短波放送は韓国内で鮮明に聞くことができた。そして中波のラジオにしても、昼間は無理であったが、深夜になるとなぜか耳に飛び込んできた。時が時だけに、朴大統領暗殺事件、スリーキム時代のソウルの春、光州事件なども、日本のメディアを通して、いったい何が韓国で起きているのかを把握できた。頼りはラジオであった。 さて、その不安な政情に悩み、一刻も早く日本に帰りたいと願っていた時に、ラジオから繰り返し聞かされたのが、長崎ちゃんぽんリンガーハットの宣伝であった。ラジオの感度が悪く、いつも雑音が入っていた。いかなる麺食なのかも知らないで、その広告曲を耳にするたびに、日本への望郷の念を募らせていた。 時が幸い。偶然に九州に職場が見つかり、赴任した当日、上司に特にお願いしてお連れ頂いたのが、長崎ちゃんぽんリンガーハットであった。長年の夢をかなえたかった。その上司は就任祝いの会食であるので、高級なお店を予約なさっていたようだった。だから、「なぜ、リンガーハット?」と怪訝そうに質問なさるのも当然であった。 そのお店で注文したのは、ラジオで耳にしたメニューであった。当時290円であった。 白濁色のスープに、太麺。これまで私が口にしたことのない麺食であった。未知の長崎というご当地の味、そしてリーガーハットというエキゾチックなネーミングに心を奪われた。 だからこそ一口食べて、おいしいとかまずいのではなく、やっと日本に帰国できたという安堵感が口いっぱいに広がったことを思い出す。 その後、リンガーハットは全国展開の企業。今やどこでも口にできる国民食。しかし個人的にはあの国道沿いの、屋根に赤いとんがり帽子の煙突が... 続きを読む
全国ご当地ラーメン食べ歩き(4)高円寺のチャンポンと胡椒 8月 23, 2025 すでに半世紀以上前、4年間、高円寺に住んでいた。10名の学生下宿があった。9名は各4.5畳お金持ちの子弟一人だけ8畳の部屋割りであった。田舎から仕送りも途絶えがちであった私だけに、当然に日当たりが悪く、狭い4.5畳の部屋。むやみやたらと本が散乱する部屋であった。その下宿の住人はバラバラの学校に通っていたので、だからこそ面白かった。 下宿は高円寺駅から徒歩で12~13分の場所。今、駅から歩いて案内せよと言われても、道に迷うだけ。住所すら思い出せないので、グーグルマップも無理。町名が大和町だけはうっすらと思い浮かべるが、その情報さえも正確でないだろう。住所を尋ねる人も、もはやいない。 その高円寺駅前に、チャンポンのお店があった。その場所も思い出せない。商店街の一角であったとうっすら記憶をしている。四角い餃子に、羽根つきとともに、チャンポンを看板商品にするお店であった。40歳代の店主がお一人で調理もし、そして配膳もし、さらには後かたずけもなさっていた。 長年、本場長崎のみならず、他の地域で長崎でチャンポンを食べてきた経験から言えば、あの高円寺チャンポンが長崎風であるとは思えない。だから長崎風だと歌わなかったのだろう。 白濁でとんこつ味のスープに、太麺。やたらとキャベツが多かった。平素、野菜不足であったので、あの店は栄養満点であった。おいしかったかは思い出せない。特別な感覚を呼び戻せないので、平凡な味だったかもしれない。 しかし、我が人生でショッキングなのは、そのお店で覚えたハウス食品胡椒、ペッパーである。それまで胡椒を知らないので、不思議な辛さであった。 そしてあの店を思い出すたびに、我が20歳代、貧しき学生時代とともに、胡椒の味がよみがえる。ただし夢だけは盛りだくさんであった。 後年、胡椒ロードを研究対象に加えたのは、この時のショックのせいだろう。 続きを読む
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