家系ラーメンの定義 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ 5月 16, 2026 家系ラーメンの定義ーー全国に約2000軒の家系ラーメン1,あっさり鶏ガラを主に濃厚豚骨などをじっくり煮込んだスープ2,醤油3,チャーシュー:煮込むのではなく、鍋につるして、いぶす4,モチもち中太麺5,家系ラーメンのBig3ーー 「吉村家」「本牧家」「六角家」 リンクを取得 Facebook × Pinterest メール 他のアプリ コメント
全国ご当地ラーメン食べ歩き(4)高円寺のチャンポンと胡椒 8月 23, 2025 すでに半世紀以上前、4年間、高円寺に住んでいた。10名の学生下宿があった。9名は各4.5畳お金持ちの子弟一人だけ8畳の部屋割りであった。田舎から仕送りも途絶えがちであった私だけに、当然に日当たりが悪く、狭い4.5畳の部屋。むやみやたらと本が散乱する部屋であった。その下宿の住人はバラバラの学校に通っていたので、だからこそ面白かった。 下宿は高円寺駅から徒歩で12~13分の場所。今、駅から歩いて案内せよと言われても、道に迷うだけ。住所すら思い出せないので、グーグルマップも無理。町名が大和町だけはうっすらと思い浮かべるが、その情報さえも正確でないだろう。住所を尋ねる人も、もはやいない。 その高円寺駅前に、チャンポンのお店があった。その場所も思い出せない。商店街の一角であったとうっすら記憶をしている。四角い餃子に、羽根つきとともに、チャンポンを看板商品にするお店であった。40歳代の店主がお一人で調理もし、そして配膳もし、さらには後かたずけもなさっていた。 長年、本場長崎のみならず、他の地域で長崎でチャンポンを食べてきた経験から言えば、あの高円寺チャンポンが長崎風であるとは思えない。だから長崎風だと歌わなかったのだろう。 白濁でとんこつ味のスープに、太麺。やたらとキャベツが多かった。平素、野菜不足であったので、あの店は栄養満点であった。おいしかったかは思い出せない。特別な感覚を呼び戻せないので、平凡な味だったかもしれない。 しかし、我が人生でショッキングなのは、そのお店で覚えたハウス食品胡椒、ペッパーである。それまで胡椒を知らないので、不思議な辛さであった。 そしてあの店を思い出すたびに、我が20歳代、貧しき学生時代とともに、胡椒の味がよみがえる。ただし夢だけは盛りだくさんであった。 後年、胡椒ロードを研究対象に加えたのは、この時のショックのせいだろう。 続きを読む
全国ご当地ラーメン食べ歩き(3)桂花ラーメンと新宿 8月 23, 2025 そのラーメン店は、新宿東口駅前のビルの半地下にあった。数名も座れば、満席になる狭いお店であった。ぼんやりとした記憶であるが、三角形のお店ではなかっただろうか。 当時、貧乏にあえいでいたために、桂花ラーメンはぜいたく品であった。いわばコンサートホールに欧米から超一流オーケストラが来て、そのコンサートチケットを購入するような高価であった。 貧しかった。 星雲の志しを抱き、上京。しかし、田舎からの仕送りは東京での生活にかつかつであった。下宿代を支払えば、わずか1000円が手元で自由に使えるお金であった。金銭的な余裕などもなく、毎日にアルバイトに飛び回っていた。 両親にすれば、安定的な職業の道を放棄して、息子が飛んでもない方向に飛び跳ねて、ハラハラの連続であったからだろう。親になってみて初めて、その時の両親の思いを察した。 その時代、若気の至りで、無性に時代に反抗し、腹を立て、背向けて、独りよがりの道を突き進もうとした。 その報いだろう、学友たちが優雅に食べ歩きや高級レストランでコンパを重ねていた時に、自分は汗まみれで都内の各所で働きずめであった。 肉体的にも、精神的にも、また経済的にも追い詰められていた時、ふと目にしたのが「桂花ラーメン店」の看板。狭いカウンター席で、身も知らないお客と相席になりながら、互いに目でお疲れさまとエールを送り、ラーメンをすすりあった。 私の印象では、なぜか固い麺であったし、こんな固さを好む人間の食生活のまずさを呪っていた。 先日、何十年ぶりに新宿に出かけた折に、久しぶりに桂花ラーメンの店を訪ねた。今はその場所から移転して、別な場所で営業をしていた。そして支店も数店だすほどに営業力を充実していた。 ただし、そのお店に足を踏み入れなかった。おいしいラーメンも、思い出の苦い味になるだけだと考えたからである。 続きを読む
韓国大邱市の中華料理店「万里長城」の韓国式チャンポンと異文化体験 8月 28, 2025 現在も営業しているかどうかは心もとない。すでに30年以上、大邱に足を踏み入れていないのだから。韓国料理と言えば、このお店が最高となるのはやむを得ない。 大邱市中区大鳳1洞55-39 中華料理店「万里長城」 このお店の味が忘れられないのは、私の韓国生活で最初の友人呉ジュヨン君と出会ったお店だからである。 もっとも友人と言っても、呉ジュヨン君は当時小学3年生か4年生だったはず。お店のオーナー呉南樹氏(当時、大邱市議会議員)の次男であった。右も左も分からず渡韓し、しかも親しい人もいず、韓国語さえもおぼつかない有様であった。当然ながら食事はいつも一人、ご存じの通り、韓国の外食でも、今も昔も一人で食堂に入ったり、酒場で一人酒をする習慣はない。したがって一人で食堂に入り、独りの食事メニューも当然に限られてくる。止宿先の前にあったお店だけに、ものぐさの私にとって、そのお店の常連になるのに日を要しなかった。 だかからこそ、 *「チャンポン ハナ ジュイソ。メプチアンケ ヘジュシラムニッコ」 という言葉は大邱方言であるが、しばしば通ううちに、自然と覚えた言葉。なにしろそのままでは辛すぎるので、トウガラシの量を半分以下に調整していただく必要があった。友人曰く、今もソウル標準語を知らないと違うか。 ある日、ものお珍しそうに私に近寄って来たのが呉君であつた。下手な韓国語で注文する日本人アジヨシ(おじさん)がほぼ毎日チャンポンを食べに来ると両親から聞いたからだろう。 その当時、大邱に居住する日本人は数名(4名?)に過ぎなかったので、珍しかったのだろう。 倉庫のどこかを探せば、その「万里長城」の韓国式チャンポンの写真が出てくるかもしれない、というのもスープは真っ赤だから。その驚きをは写真に撮ったに違いない。 韓国での中華料理と言えば、チャンポンと双璧な国民食は チャジャンミョン (漢字表記: 炸醬麵 、짜장면)である。甘い黒タレの麵であるが、私にとって、海鮮類も野菜も入っているチャンポンを自然と多く注文することとなった。 そのチャンポンを通して、そして呉ジュヨン君を通して、いつの間にか大邱市内に友人が増えていった。だからこそ、万里長城式チャンポンはいつまでも我が第2の故郷大邱の味である。 ところで、今も未解決なのは、チャンポンに黄色な沢庵が添えられることである。 *********... 続きを読む
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